イヤーまいったまいった。
ヒトヅキアイというのはほんとうにたいへんです。 誰しも他人との間には垣根があると思うわけです。
高い垣根をもつものは、低い垣根のひとのずかずか踏み込んでくるかんじに「ちょっとこまったことになったなあ」と思う。低い垣根のひとは、どう思っているかというと。 うーん。踏み込んだことがないわけでもないですが、やっぱその時は「アラごめんあそばせ」くらいのことだった気がする。ここが垣根の低さ怖いとこだわな。 誰しもが自分を基準にするわけです。それしかしようがない。
低いひとは、好きに踏み込んでりゃいいさ。
でも垣根が高いひともいる。たしかにいる。高いひとは、やっぱり、どーうしても、どーうしても、この高さを守りたいわけですよ。それはワガママなんですかね?そういう姿勢は低い垣根の人にはご不満らしい。こちらの要望は、なかなか通じません。しまいに、大きなお世話を焼かれたりな。
まあ、わかってくれなくても構わないと思うんですよ。
わたしは、わかってもらわなくても、じぇんじぇん構わないですよー。 わからなくてもいいから、わからないなりに、高い垣根もあるということを覚えて欲しい。ひょっとしたら、それは理解なんかよりも、ありがたいかもしれない。 「理解」なんかまったくあてにならないもんなあ。
理解しているような気がすることも、理解できないと思っていることも、ないわけでもない。でもそんなのがいったい何になるですかい。理解しなくてはなにもできないってわけでもない。理解なんかしなくても身体はうごくんだよーん。だ。
わたしは高い垣根で暮らしています。
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