わたしは、花屋がすきです。
花を買うのはしあわせでたのしい。 秋から冬のちょっとした境目に花屋はしばしがらんとしたります。 そんなときは、シミジミと、かなしい。花屋ががらんとしているとやる気もわきません。 だいたい言わせてもらえばですね、花屋だからって花だけありゃいいってもんじゃないですよ。花だけバケツにガスガス突っ込んで花屋でございなんて言われちゃ困るっツーの。え、そうじゃありませんかい。 まあね、バケツにガスガスの店で思いがけなくいい状態のチューベローズを見つけたりするのも楽しいものですが、やっぱりわたしとしては花屋へ期待してしまう。 花屋は花をすてきに可愛く愛でる気持ちが店内に溢れてこそ花屋の役目を発揮するのではないでしょうかね。花を召しませ召しませ花を、そういうココロ。それは店内の花のセレクト、並べ方のひとつひとつにあらわれる気がいたします。 わたしの大好きなある花屋はお店の中全体がちいさな花壇のようになっています。また別の花屋は花の選び方が独特の色彩で、しかもそれらの花たちが種類もばらばらにグラデーションを構成していたりするのです。また違うべつの花屋はとにかくいろんな種類の花を大量に仕入れて有り花たちが競い合うように並べられ、パワーを感じます。
そういう花屋は、ラッピングの紙、リボンの結び方に花束の作り方 、すべてにわくわくさせられるのですよ。「自宅用です」と言って買ったアマリリスだって大袈裟ではない気の利いた紙に丁寧に包まれてかわいいひもでちょこんと結ばれて渡されたりして、その気持ちがうれしい。アマリリスだっていきいきしてみえる。さあ、一緒におうちに帰ろうね、そんな気持ちになろうというもんではないですか。 大袈裟にしてくれなくていいの。大袈裟にしてくれるわけじゃないけどオロソカにされているわけではない。花を選ぶ、花を買う、花を抱えて歩く、そういうシアワセな気持ちをわかってくれるそういう花屋は、もう花屋様といいたいです。
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