最近したさりげない決心のひとつに「上等ォ!と言えるわたし」というのがあるわけですが、これはつまり、カンに障るようなことをワザとされたときに「アイヨ喧嘩売ってんなら買いましょう」というココロなわけですよ。
ああ、こんな物言いからすでに「上等ォ!」には程遠いや。 わたしは堪え性がないわりに、その場の空気を優先してしまうのでなかなか喧嘩を買えません。ツマリ気が小さいんだね。怒りの対処を自分の中で検討しているうちに話が進んでしまう。だ、ださい。
「忙しいのは結構だけどタマシイ売るような仕事はしたくないよなぁ」
言えたらどんなに良かったか。ふう。
また別の女性は飲み屋にて早めに退席しようとしたわたしに「売れっ子ちゃんはちがうわねぇ〜」とドラマのような口調で仰いまして。
他にも、辛くてとても書けない痛恨の「買えなかった喧嘩」が多々あるのですが、すべてホントの泣き寝入り。わたしよ、ふがいないわたしでゴメン。
しかし疑問です。向こうはわたしが怒るとは思ってないんでしょうかね?
「自分ったらこれくらいのことで怒っちゃってオトナゲない。てへ」そんな自己批判としての「これくらいのことで」ならいざしらず、他人の怒りに向き合ったときに「これくらいのことで」で逃げるのはズルイ。
わたしは「これくらいのことで」という雑な了見に対して「上等ォ!」と言いたいのかもしれないです。 「ノー」と言えるニッポンも大事ですが「上等ォ!」と言えるオータキも大事なのです。今後、そこんとこ4649。
テロの話じゃないですよ。「上等!」てのは個人の責任の範疇でやるもんじゃないでしょうか。
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