OHTAKI'S MODERN CARTOON

ちいさなかわいいテリトリーの巻

人の顔が覚えられませんよ。

なんか出来ないことだらけですいません。
わたしは基本的に苦手だらけでして、アタリマエのようにこういうことも苦手なんですね。
さいきんそんなダメ話ばかりで恐縮ですが、そういういじいじした話が大好きなんですよ。ホホホホ。

マーいくらなんでもつきあいが長くてたびたび会うような人の顔は覚えてますが(ここからがダメだったら大物だと思う)仕事やお付き合いで会った人の顔がいけません。かたっぱしから忘れます。
けっこう仲良くなってからも、会うたびに「このひとこんな顔だったんだ」と思うことが多いです。ナイショですが頻繁に3回くらい会ってからやっと顔と名前の記憶が固定されます。
みなさん、どうもすいません。

打ち合わせ中にどんなに話が盛り上がろうが、どんなに好感をもとうが、いけません。感情とわたしのオロソカな顔の記憶は悲しいことに連動していないようなのです。会ったときからイマイチ印象の薄い人が、ごく自然に記憶から消えていくのは申し訳ないけれどもしょうがないとして、初対面の打ち合わせが、どれだけの楽しい時間だったとしても、あきまへん。
なんでなんだ、わたしよ。

先日ながいことお世話になっている雑誌のお祝い事でパーティーがございまして、久々におめかしして出かけてみたのです。いやあ、知ってる人が3人以上居る場所行ったの、久しぶりです。
「わあ、おおたきさん、珍しい」次々と声をかけられる。
ああ、どうしましょう。
わたしは、わたしは、あなたの顔が誰だかわからない。

のろいコンピュータの「NOW LOADING」という画面のような状態のわたしに気が付いた相手はすぐに「あっ××編集部の●●です」と言ってくださる。特に編集のひとはそういう配慮に長けているひとが多いので、すごくたすかるのですが、でもやっぱりあまりにも失礼で、あまりにも面目ない。

名前さえ聞けば、脳の中で閃光とともにすべてが繋がり思い出はよみがります。ファンファーレさえ聞こえるような気がする。その人と会ったときに話した内容や、笑い顔、仕事の依頼内容とオマケに自分がどんな絵を描いたかもセットでガーっと溢れるように思い出して、また会えたことがすごくうれしい。
でも自力では、誰だか思い出せない。

どうしてなんだ。わたし。
どうして顔だけではだめなんだ。

人の顔を覚えるというのは、けっこう大事な機能じゃないでしょうか。社会生活の第一歩と申しますかね。人の顔を見分けることでわたしたちは今自分がどういう場所にいるか判断するのだと思います。
知った顔が多いのは、つまりテリトリーです。知らない顔ばかりなのはテリトリーではない場所。そうして自分がいまどこまで油断をしていいのかどういう態度でいればいいのかを判断するのではないですかね。
顔が覚えられなかったら、テリトリーは広がらない。ずーっと気が抜けない。

わたしは子供の頃から人付き合いのすくなーーーーい暮らしっぷりですが、もともと少ないのをさらに断るようになったここ数年の隠居生活で、人の顔を見分ける機能の劣化が進んでいるような気がします。
わたしはテリトリーを広げることを本格的に避けてるのかもしれないですなあ。
なんのために?
面倒だからかなあ。わたしは人の多いテリトリーでの油断こそ最大の危険だと思っています。ヒトはどうだかしりませんが、油断をするとわたしは他人と自分に対して必要以上に鈍感になる傾向があります。
それはね、けっこう嫌なもんなんですよ。

テリトリーなんてものは、ちいさなちいさな、自分一人だけの空間ぐらいで丁度良いのだ。わたしは本気です。逆に言えば気を抜ききらないでいることを覚えればテリトリーでない場所は無尽蔵で、そこをとぼとぼ歩いていくのはとても楽しい。

あなたの顔をなかなか覚えられないのはとても申し訳ないのだけれど。
ごめんね。3回くらい会ったら覚えますんで。

tulipa@mamioh.com *MAMI OHTAKI*

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