OHTAKI'S MODERN CARTOON

イマイチ喜べないの巻

最近オトロシイことに気が付いてしまいました。
「集中力」はエラクない。

わたしはわりと集中力がないほうだと思っていました。普段あまりにも意識が散漫なので、集中力なんていうのは夢のまた夢だと思っていました。でもよく考えたらそうでもないみたいです。

例えば仕事をしていてやっと描き終わったとたんに一歩も動けないほどの空腹感と尿意とに襲われてたいそうたまげたことがあります。しかも部屋が真っ暗で、いままでどうやって画面を見ていたんだか謎なのです。仕事に夢中になっているうちに、いつのまにか日が暮れていて、その間トイレも食事もしてなかっただけなんですが。

普段、散漫というにも程があるというような自由運動をしているわたしの意識もイザというときはビシイと足並みが揃ってるらしいのですね。
ワーイワーイ。えらいぞじぶん。

ところがたいしてエラクはなかったんだね。

最近、集中力のカタマリのようなひとを観察していてわかったことがあります。
集中力のある人のなかにはどうしようもなく他人の話を聞けないひとがいる。
矛盾のように聞こえるでしょう。ところがそうじゃないんだなー。

集中力というのは「自分に集中する」ということなのではないでしょうか。
「自分が興味のあること」に集中するのはまあいわずもがななのですが、それは「自分が興味のあること」のさらに奥の感覚で、例えば誰かの話を興味深く聞いていてもだんだんその話から発生した自分の考えや感覚に集中していくのですね。

しぜん、上の空になります。そうなると聞いちゃ居ませんよ、もう。
オトナなんで相槌は上手に打ってますが、目がうつろです。

そしてわたしが実にこうなのです。まったくヒトゴトじゃないですよ。すいません。わたしはいままでいろんな理由で怒られてきましたが、「人の話を聞け!」と怒られたことがダントツに多いと思います。

わたしはそれを集中力がないなあと嘆いていました。
でもそれは「人に集中する前に、自分に集中していた」というもっとしょうもないことであったのです。
怒られたとき、わたしは買ったばかりの花瓶に見とれていたりその人の言葉のなかにあった小さな自慢について考えていたりお腹がすいたりしていました。
散漫な意識はすべて長良川の鵜のように確実にわたしになにかを持って来るのでそれを見聞するので手一杯になってしまう。目の前の人の口がぱくぱくしていてもなんのことかもうわからない。
わたしはもう、わたしに集中しはじめている。立派にうわのそらです。

集中力があるからってあんまりエバレないような気がいたします。
 

tulipa@mamioh.com *MAMI OHTAKI*

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