先日マリリンマンソンのライブに行ったわけですが、ちょっと遅れそうになってしまいました。実にあわてました。一人だったらなんも気にしませんが、会場入口で待ち合わせをしたサトくんに悪い。なんとしてもサトくんに遅れそうなことを伝えなければ。でも。
ケイタイ持ってないス。電車だったらまだホームの電話が使えますが、タクシーの中ですわ。トホホホホ。 運転手さんが気の利くかたで「お客さん、誰か待たせてんの?使うかい?」といってケイタイを貸してくれました。スバラシー!それがねもうかなりのおじいちゃんなんです。 「いやー運転手さん、ハイカラですねえ」と言うと、おじいちゃんが「いや女房が心臓悪ィんだよね」って言うの。 あっと思いました。
ケイタイ持たずの人の言い分はたいてい「いっつもこっつも掴まりたくない」なんですけど、まあわたしもそうです。自分の存在が消えてる時間が好きでしょうがない。ぽつーんと、思いきりあてどなーくなってる時間に自分がやれることはなにもなくて、とても多い。往きくれ放題のその時間のことを考えたら、とてもケイタイなんか持つ気になれない。
でもそうやってわたくしが気配を消している間、わたしに連絡をしたい人はいらいらいらいらいらいらいらいらしてるんでしょうな。いらいらくらいで済めばいいですが場合によっては不安で不安でたまらないことだってあるわけです。連絡がとれないというのはそういうことです。
自分の面倒よりも、優先したいひとやそのひとの安心というのがある。 わたしは、わたしを優先するために、こういうところでも誰かに面倒を強いているのだろうなあ、と思ったことでした。
でもやっぱりケイタイ持たずです。
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