おおみそかっていうのはいいですよね。
12月29・30・31のあたりがわたしは、いちねんでいちばんすきかもな、なんて思います。町中に松飾りの露店が出て、花屋さんにはわっさわっさと千両と万両の深い緑の葉が繁っている。黄色と朱の実の色がじつにカワイイ。行きつけの小さな花屋さんなんかはちょっとした森みたいになっちゃってる。 スーパーやデパートの食料品売場がまたすばらしいですよ。 飾り蒲鉾、きんとん、祝い菓子。
たーのーしーい。 いつもの夕食を考えるのではない、ちょっとした気の高ぶりのようなものが売場に満ちています。その高ぶりは、黒豆を毎年買ってすませちゃうけど今年は煮てみようかしらんとか、とか、お箸を出すときは松の葉を箸置きかわりに使おうかしらん、とかそういう各家庭の食卓を盛り上げる波動となって奥さんたちをつきうごかすのです。 もちろんわたしも一緒になってつきうごかされています。
芽が出る、くわい。見通しがいいように、蓮。そんな縁起かつぎの食べ物を用意するのもまたうきうきします。わたしは数の子やごまめなんかはつくりません。子孫繁栄も長寿も興味がないので、一切無視という偏ったお節です。たとえお節とはいえ、うかつなことをするわけにはいきませんよ。わたしはこういうところは譲らないことにしています。地味でもいい。わたしはわたしが祝いたいお節をつくるのさヨロレイヒー。 きんとんのお芋を選ぶのだって真剣です。ぼそぼそしたおいしくないお芋できんとんを作るのは悲しい。悲しすぎる。ここで「悲しすぎる」などと思い詰めているのが決してオーバーではなく心底からの思いであるのが大晦日のココロであるのです。 くわいを煮、松を立てて千両万両お鏡を飾る。夜は老舗のお蕎麦を食べに行く。 そしていざお正月になると。 つまんない。仕事もそうですが買い物や料理はその経過が楽しくて、出来ちゃうともうどうでもよくなりますね。まあなにしろいちねんがはじまったということのようです。ことしもぼちぼち。
|