わたしをいれるひきだし の巻
誰かのお宅でご馳走になり夜中までモーローとすごして退屈しかけたころあいに、占いの本なんかを見つけまして。こりゃいいやっていうんで、誰それはどういう性格とか調べて笑ったりしていたわけです。
そこに集まっていたのはもう15年ほどお付き合いいただいているかたたちで、わたしが一番若造です。というわけで、わたしが本をアレコレ調べて「えー、●●さんはこれこれこういう性格だそうです」という役割をしていたのですが、みんなで当たってるだの違うだのでひと笑いして最後に「で、オータキは?」ということになった。 「わたしはこれこれこういう性格でこれこれこういう部分があって、まーヒトコトで言うと"得体のしれない人"、だそうですね」 わたしがこう言った瞬間、いやーオドロイタ。
それまで「●●さんは案外寂しがりやさん」だの「■さんは粗忽」だので笑った数倍のうけようです。そしてその笑いの中に「ああやっと納得できた」「ああ、スッキリした」というような、気配があったわけです。 オータキは得体の知れない人、ということでいいんだ!というひとつの解決をみたというか。 ああそうだったのか。 ひとは、知識や他人やなにやかやを自分のひきだしに分類して仕舞いますわなあ。ちがいますかね?わたしはそうだと思っています。「頼りになるひと」「なかよくしたいひと」「けむたいひと」「剣呑剣呑」・・・。みんな自分なりの分類シールを貼って、それぞれのひきだしにいれていく。知らないものや新しいものはどんどん分類シールを貼って分類していく。 そのさい「理解できない、というひきだし」を作れない、性根のいいというか諦めの悪いというか、まあそういうひとがたまにいるような気がしますよ。「理解できないという理解」もあると、根気のないわたしなぞはすぐそう思うわけですが、根気よく自分のモノサシで出る答えを求めるひともいるものです。そういうひとは、自分に理解できない事件や人を、入れるべき引き出しがみつからなくて不安になるみたいです。 わたしはどうやら長いことそのひとたちのなかで、理解できない、という引き出しに入れるのもはばかられるという状況だったらしい。うかつに親しいとね、遠慮もありますしね。どこにいれていいかわからないまま、しっくりこない引き出しに仮にいれられていたようです。
そこでわたしは考えましたよ。 名刺に肩書きがありますでしょう。「課長」とか「役員」とか、あれこそ手っ取り早い、他人のひきだしへの自己アピールではないでしょうか。 あそこはじぶんを入れて欲しい引き出しの名前を書いておく場所だということに、わたくしは遅まきながら気が付いたわけですよ。そう思って今日までにいただいた名刺をあれこれみてみると「●●株式会社●部●課●主任」とか「クリエイター」とか、じつに堂々とじぶんをこのひきだしにいれてくんな!という主張の連続なのです。あーそうだったのかー。 それをそのままのんでそのひきだしに入れてくれるかは別ですが、まあ、分類のための情報はすこしでも多いほうが親切というものです。 じつはわたしは名刺に肩書きをいれていません。ああそうか、これがいけなかったのかもしれない。 わたしは名刺の肩書きに、恥ずかしがりながらも「へんくつ」と入れたい。
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