最近「ひとり凧」をやっているんですよ。
いやあ、凧はいいですよ。 見上げる空に消えていく糸、その彼方には小さく凧が揺れている。 風が吹く午後などに、くるくると畳んだ凧をですね、背負ったカバンにいなせにぐい、と突っ込んでですね、多摩川の河原に出かけるんですよ。持っていくのは水とビスケットと地図。これで迷子になってもお腹がすいても大丈夫。ケータイ?バカ言っちゃあいけねえよ。これからやるのは「ひとり凧」なんだぜ?邪魔されてたまるかってんだい。ていうか持ってないんだけど。 平日午後2時の多摩川河原なんて散歩中のじいさんと昼寝中の推定無職男くらいしかいないんです。あとは土手の上を地元のかたが自転車で行き交うくらい。
もう、凧、あげほうだいスよ。
凧をあげて、糸が引っ張られるのを感じると、次第に糸の先になにか意識があって、わたしの手をひっぱっているような気がしてきます。
自分のかけらみたいなものが遠くにいて、もっと行く、もっと行く、って糸に伝わってくる。
わたしは思うんですけどね、凧上げとか魚釣りとかっていうのは一人になる作業
なんじゃないですかね。 なんかすごく自分がスッキリしてきて、それは自己が拡大するっていうか、
どんどん透明度が増してきて、なにかに溶け込んでしまう、そのくせ自分をはっきりと自覚していく、そういうかんじ
なんですよ。
1999/1/30 |