猫が身罷って
2週間が経ちます。 ながいながい、かなしい、2週間でした。 それでもいちにちいちにちと、泣く時間が減っていきます。 いちにち、いちにちと、泣く涙の内容が変わっていきます。 衰えが激しいながら、まだ動けていた6月の頭、猫は、珍しくテラスに出たがりました。でももう自分ではテ ラスへの段差を降りることが出来ませんでした。 猫がテラスに出なくなった去年の秋以来、うちのテラスは夜の間、野良猫の通り道になっています。悪い病気の菌を持っている猫もいるかもしれません。そんな ところに この衰弱した年寄り猫を出すわけにはいかない。わたしはそう思って出たそうにしている猫に気が付かないふりをしました。 本当は「最後に家を見て回りたがっているのかも」という気持ちがあって怖くて嫌だったのです。 そんなわけない、と思っていました。 明日にはすこし覇気が出て、明後日には元気な声でにゃあと鳴いて、そのまた次の日はツレアイの靴下で爪をとぐ。去年だってそうだったんだから。 結果的に、猫は、やっぱり最後に我が家におわかれをするつもりだったのかもしれません。それからどんどん衰弱して1週間後にこときれました。 22才です。猫の年齢換算表によると19で102、20で105と書いてあり、その先はありません。110才をまわるくらいだったのでしょうか。明日に なったら覇気がでるなんて、あるわけない。あるわけがなかったのに。 「この猫には生きる気力というものがある」猫を診て頂いていたひろせ先生は仰っていました。 お世辞だったのかもしれませんが22才でしゃんしゃんと歩き回ってご飯を食べていた様子は、やはり心強くもありました。わたしは、その猫の気力に甘えてい たのです。 5月の終わりからの2週間、日に日衰えていくその様子を見てもわたしは頭を切り換えることができませんでした。愚直に毎日の薬を飲ませながら「はやく げんきになって」なんてまだそんなことを考えていました。猫は起きあがるのがやっとになってしまった最後の2日でも自分で歩いてトイレに行きたがるという 気骨をみせていたのです。見ていられなくて抱いてトイレに連れていったのですが、ようやっとというかんじで用を足し、そのまま力尽きてうずくまってしまう 姿に、わたしははじめてこの猫の「死」を意識して「こわい」と思ったような気がします。 それでも。それでもまだ本当はよくわかっていなかった。 はっきりわかったのはなんとこときれる3時間前です。 阿呆だ。 7日の深夜、猫が何処かへ行きたそうにするのでトイレに連れて行きましたが用は足しませんでした。おかしいなと思いましたがそのまま自分の脇の下に寝かせ て、朝6時。またしてもどこかへ行きたがっている様子に抱き上げると、猫の体が妙にくんにゃりとわたしの胸にもたれかかってきました。 あっ。 そのときはじめて「この猫が死んでしまう」と自覚したような気がします。何処へ行きたがっていたのでしょうか。もう猫は目は開けているもののなにも見えて いなくて意識がどこかへいってしまっているようでした。ただ心臓だけが痩せた体の下でどきどきと動いていました。そして8時ちょっと。ひゅっと大きく3回 息を吸って心臓は静かになりました。 あたまでは「死」というようなことばが浮かんでいても言葉として出てきませんでした。ただただ、目をぽっかりと開けたまま、 しんと静かになってしまったちいさなこの猫がかわいそうでかわいそうで。 何処へ行きたかったのでしょう。どこかでこっそり死ぬつもりだったのでしょうか。それとも死から逃げようとしていたのでしょうか。単に錯乱にすぎないので しょうか。 お花を抱えて来宅してくれた先生が目を閉じてくださって、かわいい寝顔になりました。 あまりにもいつもの寝顔なので撫でればにゃあと言ってくれるんじゃないかと思って、なんども撫でてはそのひんやりとした慣れない感覚に胸がつまりました。 こんなにつめたくなっちゃって。かわいいピンクのうずら豆のようだった肉球も血の気が失せて白っぽくなってしまいました。 ちいさな蚤がいっぴき、毛の間から這い出てきて、「こんなに痩せてるくせにまだ蚤を飼っていたのあんた」すごいじゃん、かなしく考えていました。 あのとき、好きなだけテラスを見に行かせてやればよかった。 猫がこの家に名残を惜しんでくれるのなら、そうしてやればよかった。 猫は年のせいか性格か、特別なものに愛着をもつほうではなかったので、この家で猫だけのものといったら治療用の皮下補液用の翼状針や、薬を飲むシリンジ、 ことしになってからは朝から晩までご飯にまぜて飲むことになった薬やサプリメントばかりだったのです。 わたしはことし43になります。 わたしの生きてきた時間の半分以上をあの猫と一緒に過ごしました。大家さんに内緒のワンルームマンションからはじまって今の家は4軒目です。横浜のこの妙 にテラスの広い家で、わたしと猫は一緒にひなたぼっこをしたり、今までで一番のんびりした時間をすごしていました。 猫が、わたしたちとくらしたこの家に名残を惜しんでいたとしたら、 あの生きる気力は日々への執着だったとしたら、 それは、わたしたちとの暮らしが幸せで楽しかったのだと思っていいのでしょうか。 もっとこの暮らしを続けていたいと思ってくれていたのだと考えていいのでしょうか。 つごうのいいことを言ってはいけないとは判っています。 でも。 |