「あのときこうしていたら」
そんな話をけっこう聞きます。
そう思うことがよくある、というひとが多いのでしょうか。
「あのときこうしていたら」
わたしはあんまり思ったこと無いです。
「あのときこうしていたら」という気持ちを「後悔」というのでしょうか。
だとしたら、あんまり後悔ってしたことないということなのでしょう。
失言とか、無礼なふるまいとか、思慮のない行動とか、後悔したほうがいいようなことはけっこうあるのですが、「あのときこうしていたら」と思ったところで今この状況が変わるわけじゃなし。後悔するような状況下でできることといえば、この痛さを罰として噛みしめることだけです。というわけで反省ならしますが、まあ猿でも出来るそうですし、なんともいえません。
拙宅の老猫(21才)が病気です。前兆は長きに渡って起きていたのにわたしが勝手な解釈をしていてお医者さまに診せるのが遅れました。
痩せこけてただ眠り続ける猫の横で、どうしても泣くことを止められないとき、
「もっと早く先生に電話するべきだったと思ったほうがいいんじゃないのか?」という考えが頭の後ろをかすめていきました。
たしかにそう思ったほうがいい。このありさまはどうだ。
でも「あのとき」は電話をしなかった。「あのとき」はとっくに終わっている。
「いま」のわたしは朝から晩まで猫のそばにいることができます。
つい先日まで長く手こずっていた仕事や気がかりだったコンペや突破口の見つからなかった仕事が魔法のように一段落して、時間と気持ちに余裕があるのです。
「あのとき」先生に猫を診ていただいたとして、こんなふうにできたかはわからない。もちろん、猫だってこんなに悪くなっているわけじゃないけだろうれども、それはわからない。
わからないことを悔いるほどわたしはロマンチストではないのでしょう。
それよりも目の前で眠るこの猫がこのまま死んでしまうのか、起きたらごはんを食べてくれるのか、夏になったらまたテラスでごろんと転がって一緒にぼんやり過ごすことができるようになるのか、
そんなことを考えるのにいっぱいいっぱいです。
これから起きることに怯えるのにいっぱいいっぱいです。
わたしはどんなときでも、いま、おきているこのことこそがわたしのタイミングでありわたしのベストなのだと思っています。
怖がりなので、これから起きることはまだ起きていないというだけで怖いですが、「いま」は、怖くない。どんどん次の時間が押し寄せて来る「いま」に、終わってしまった時間のことを惜しむゆとりはありません。
とはいえ、21年も一緒に暮らしてきたこの小さな猫が死にかけているこんなときまでも、「あのときこうしておけば」と思わない自分を、猫に、申し訳なく思ったりもしています。
ごめんよ。
でも、これがわたしとおまえのタイミングなんだと思うんだよ。
もう少し付き合おうと思わないか。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------2005/03/10
おかげさまで猫はただいま回復中です。
もうすこし付き合うかと思ってくれたわけでもないでしょうが。3/25
|