わたしはオミヤゲ好きです。
貰うのも好きだしじつは持っていくのも相当好きだ。
オミヤゲっていうのは用意しているときがじつに楽しいです。
「あのひとにアレを持っていきたいけど甘い物は嫌いだったかな?」とか。
「これは喜ぶぞう、ククク」とか。
「おいしいんだけど箱のダサイとこがあのひとには許せないかもなあ」とか。
そういうことを考えながら自分の"オミヤゲリスト"の中からあれこれ迷ったりするのは本当にたまらない。
フト、きがついたのですが、オミヤゲを選んでいる時間というのは相手のことを考えている時間なんではないかと思うのです。
会うのが楽しみで楽しみでたまらない人には出来るだけそのひとの喜びそうなものをぶらさげていきたい。
そもそもオミヤゲを持っていきたくなる時点でそのひとへの好意があるわけで、たとえ形通りのいわゆる「おもたせ」的なものでも、やっぱり相手への好意がオミヤゲのセレクトとなって表れるってもんです。
オミヤゲ。なんと単純で奥深いものか。
まあそんな大仰にいわなくってもいいですが。
しかもオミヤゲっていうのは、オミヤゲの主の「人となり」が出ます。
先日神戸うまれのキャワイイ娘さんから神戸元町のバターケーキをいただきました。これがまた実にキャワイイ味わいというか、彼女の品のいい可愛らしさを髣髴とさせる一品だったのです。
わたしの貴重な遊び相手、大学生のクレバーな娘さんは学校の裏山で拾ったというつやつやとした大きな栗をひとふくろぶら下げてきてくれたことがあります。一緒に栗飯を炊きました。面白くて楽しいオミヤゲ。
大阪在住のツチハシさんが「これごっつうウマイねん!」と本当においしそうに言いながら手渡してくれたのは山椒の効いたおいしい塩昆布でありました。御飯が無限に食えそうです。
オミヤゲっていうのは、すばらしい。
近所にある天然酵母パン屋のグラハム粉でできた脂っこくないのにさくさくしてシミジミおいしいクロワッサンを食べながら「これはオミヤゲとして成り立つだろうか」とフト考えたりしてしまうわたしの燃えるオミヤゲ心なのであります。
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